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帝国に囚われている5人の英雄

ランデイ・アロンソ・ファルコン (政治問題解説者)

1959年1月1日、キューバ革命の勝利により、アメリカ合衆国政府はフルヘンシオ・バチスタ独裁下で最も有名な暗殺者達を両手を広げて迎え入れた。彼らは、約7年間にわたり残酷な抑圧を行い約20,000人のキューバ人の命を奪った。それから数日も経たない内に、犯罪者達のグループから、アメリカ国内に何百とある内の最初の反キューバ組織が生まれた。彼らは40年にわたりあらゆる手段で、キューバが進めてきた社会プロジェクトを破壊しようとしてきた。

その時から43年が経った。歴代政権がキューバに対して、国民を窒息させ、飢えと病気で降伏させようとして、ジェノサイド的経済封鎖、経済戦争を続けてきた。キューバ国民を攻撃し傷つける為に可決されたすべての法律や馬鹿げた修正条項は1,000件にも上り、アメリカ当局、その情報当局の同意または資金援助を得て、またはそれを承知のうえで、マイアミの資金を持つキューバ系アメリカ人マフィアによりテロ行為が行われた。彼らのうちの主要人物の多くは60年代・70年代にあらゆる種類のサボタージュや暗殺計画実行の為にCIAにより訓練された。我が国の国民に対するそのような屈辱的行為により3,478人の命が奪われ、2,099人が身体傷害者となった。

外部から送り込まれた何十もの武装集団や傭兵による侵攻、工業・商業レジャー施設の爆破、焼き討ち、在外キューバ外交官の暗殺、サトウキビ畑の焼き討ち、害虫・ビールス、病気の散布、海岸沿いの町・観光施設への銃撃、主要な革命指導者、特にフィデル・カストロに対する数百件の暗殺未遂、主要なホテルへの爆発物の設置等は、キューバに対する連綿と続くテロ行為の一部である。

多くの唾棄すべき出来事の中に、フランス船「クブレ号」への犯罪的サボタージュがある。それにより101人(内6人のフランス人水夫)が死亡した。72時間でうち負かされた傭兵によるヒロン湾侵攻、CIAによるマングース作戦など、キューバに対する同様の計画が山ほどあり、そのためにCIA史上最大分室が創設された。1976年バルバドス海岸上空を飛行中のキューバ航空機が爆破され73人が死亡した。キューバ人57人、ガイアナ人11人、北朝鮮人5人である。1981年デング出血熱の持ち込みにより、344,203人の市民が被害を受け、158人(内子どもが101人)が死に至った。600件以上のフィデル・カストロに対する暗殺計画もあった。

90年代には我が国にたいする乱暴な行為が頻発した。ステレオタイプ化された社会主義圏が崩壊し、ソ連邦が消失したことに気をよくして、すぐにでもキューバ革命の終末を見ることができると期待したマイアミのテロリスト・マフィアは、この10年間でキューバに対し200件以上の暴力行為を行った。特に観光施設をねらって行われた。というのは、一夜にして貿易の85%を失い、その結果深刻な困難に直面した国の経済を支える主要な柱が観光業であるから。バラデロやカヨ・ココのホテルへの銃撃、1997年ハバナ市の5軒のホテルへの爆発物設置、世界的に有名なキャバレー「トロピカーナ」のような人の集まる有名な観光施設への爆発物設置のためのフロリダからの厳重武装した分子の潜入、そのようなグループの中で最も新しいものが2001年4月に捕らえられたものである。そして攻撃対象はラテンアメリカからキューバに観光客を乗せて飛行する飛行機の爆破にまでいたった。これらがここ10年間のテロリスト達のやり方である。

このような恥ずべき行為において主要な役割を果たしたのが「キューバ系アメリカ財団」である。「人道的財団」という隠れ蓑のもとで、90年代に行われた行為の大部分のように、我が国に対して重要な犯罪行為を組織し、資金援助を行っている。またアメリカ議会でキューバ制裁や反キューバ法の支持を求めロビー活動を行い、キューバとのあらゆる関係に反対するアメリカの政治キャンペーンの資金援助を行っている。

「キューバ系アメリカ財団」はルイス・ポサーダ・カリレスの手柄を資金面で支えた主要スポンサーである。ポサーダは国際的に良く知られたテロリストの一人であり、オルランド・ボシュとともにバルバドスの犯行を企て、1997年、世界中の約100カ国から13,000人以上の若者が集った第14回世界学生青年祭の前とその期間中におきたハバナのホテルでの一連の爆発事件を考えた張本人である。ポサダは一年前からパナマに留置されており、2000年に開催されたイベロアメリカ・サミット時のキューバ国家評議会議長フィデル・カストロに対する暗殺未遂容疑に対する判決を待っているところだ。何千人というパナマの大学生や中南米の国家主席の命を奪ったかもしれない出来事である。

このような攻撃に対し、テロリストの輩が処罰を受けることなく厚かましくも、マイアミの町を闊歩し、そこから残酷な策謀をアメリカ当局の黙認という同意を得て、計画し、支援しているからには、キューバには、自国民の命、我が国を訪れる他国の人々の命、当のアメリカ国民をそのようなテロ行為から守る為に、手の届く限りのあらゆる方策を採る権利がある。

アメリカ合衆国の地で犯罪的反キューバマフィアは、キューバと関係のあるまた我が国との正常な関係を支持する機関や個人に対し、数百件のテロ行為を実行してきた。バスクセンターのように有名なマイアミの公共センターに爆発物を仕掛けたり、キューバとの平和共存を擁護するキューバ移民、ルシアノ・ニエベスを確実な方法で殺害したり、前チリ外務大臣オルランド・レテリエルと彼のアメリカ人秘書、ロミ・モフィットをワシントンの街中で、乗っている車に爆発物を仕掛け暗殺したり、マイアミでキューバ人画家マヌエル・メンデイベの有名な作品、「孔雀」の絵を公然と燃やしたり、その他多くの乱暴なエピソードがたくさんある。それらはアメリカ国民の平穏、並びにその国の安全にたいする真の攻撃である。

我々すべてがニューヨークのツインタワーへの恐ろしいテロ攻撃のすさまじい光景を生々しく覚えているこの時、1980年9月11日を振り返ってみるのは意味あることである。その日の日中ニューヨークの混雑した街路で、あの嫌悪すべきマフィアにより国連代表部のキューバ人外交官フェリックス・ガルシア・ロドリゲスが暗殺された。暗殺者達は依然処罰を受けずにいる。

このような非常事態を前にしたキューバ革命は国民を死から守る為に最も多様な行動を採る必要に迫られた。それは、当のテロリストグループ内部の情報収集を含むもので、実際9月のテロ事件以降、アメリカの情報機関がたてた新たな反テロリスト計画のなかに厳然と存在するものである。

キューバはいくつかの機会にアメリカFBI当局とその様な団体の計画についての情報を分かち合ってきた。1998年6月、我が国は、そのマイアミ・マフィアのテロ行為とその計画についての分厚い関係文書、カセット、ビデオテープを重要なFBI専門家ミッションに渡した。その当局者はキューバが提示した証拠についての返答を約束した。

それから3ヶ月後のFBIからの「奇妙な」回答は、1998年9月12日に行われた様々な反革命団体に潜入したキューバ人グループの逮捕である。彼らは攻撃計画の情報を収集し、それらを祖国に送っていた。彼らの唯一の目的はキューバ国民の間に痛み、パニック、死をまき散らすそれらのテロ行為を失敗させることであった。

それ以来、5人の勇気あるキューバの若者達はアメリカの監獄に不当で屈辱的で、厳しい拘留状態におかれている。彼らが立派な愛国者であるという唯一の罪によって。彼らによってキューバ国に対する止むことのない敵対政策・行為に敗北したテロリスト・マフィアの奥深い復讐と憎しみの本拠地が明らかになった。キューバの国際的プレステージに怒り狂い、そして犯罪的で恥ずべきエリアン・ゴンサレス・ブロトンス少年の誘拐事件の後、拒絶され、やり込められたホワイトハウスの馬鹿げた対キューバ政策、特に経済封鎖に関して、またアメリカ社会の諸々の重要な分野で、ますます高まる反対表明に怖れを抱いたからである。

17ヶ月の長きにわたり、これら5人の英雄は、罪人達の間で通常「穴」と呼ばれている特別監禁室(SHU)に閉じこめられていた。その間彼らのうち3人は家族とも祖国とも全く接触することができなかった。マイアミ連邦拘置所の部屋からは娘・息子たちの顔を見ることさえできなかった。その子供達の中には、当時一歳にも満たないものもいた。ひどい扱いを受けていたにも拘わらず、何ものも彼らの精神と強固な意志を屈服させることはできなかった。

1998年9月15日逮捕時、FBIにより提出された訴状はこれら5人に対して陰謀と外国人諜報員であるかどで告発している。1998年10月の法廷での罪状では拘留者達を陰謀、諜報のための陰謀、外国人不法諜報員、書類偽造の罪としている。ほぼ8ヶ月後、1999年5月新たな訴状が提出された。それによると拘留者の中の一人にたいし、1996年2月24日の事件と関係づけて、乱暴にも暗殺陰謀の罪が加えられた。その事件とはキューバ領空侵犯を繰り返していたテロ組織「救出に向かう兄弟達」の小型飛行機への撃墜である。周知のことだが、新たな罪状リストは検察が正式なものとするより前にマイアミの新聞によって報道された。この罪状に係わる策謀は、当時進行中のもう一件の裁判を通して、経済封鎖のせいでアメリカの銀行に凍結されているかなりの額のキューバの累積金を盗み取ろうとするマフィアの願望と密接に係わっており、予想された通り最初から政治的性格を見せていた。

2000年11月27日、陪審員選びの過程とともに、5人のキューバ人愛国者に対する厚顔なでっち上げ裁判が始まった。同年12月6日裁判の口頭審理が始まった。7ヶ月に渡り、検察側専門家と証人、弁護側証人が法廷審理で陳述した。
検察側の陳述は、明らかに操作された専門家の証言や、反革命組織「コマンドスF―4」の代表ロドルフォ・フロメタのようにモラルの低い証人の証言など一貫性が無く、証拠に欠けたものだった。フロメタは全く無造作に、検察官の嬉しげな視線を前に、数多くのフィデル・カストロ暗殺の計画を見せびらかした。
明らかに政治的目的をもってでっち上げられた審理の張本人である哀れな検察の振る舞いは、マフィアの代弁者である新聞「ニューヘラルド」さえ2001年3月2日付けで反キューバ放送局の前局長、(その放送局は「ラジオ・マルチ」と間違った名前で呼ばれているが)エルネスト・ベタンクールのコメントを掲載した。そこで彼は検察側の行動と裁判の予期せぬ展開を激しく非難した。「実際、被告人らはスパイではなくなってしまい、アメリカ系キューバ人社会が、特に「救出に向かう兄弟達」が被告人席に座らせられたように感じられた」と。
それに反して、当番弁護人である被告弁護側は、用意した証人を通して、それぞれの被告の公明正大さ、国家の安全に関する危険の存在、反キューバ・マフィア・テロリストの歴史的沿革、暗殺の陰謀の罪状の不当性、そのマフィアとあるアメリカ当局者との共犯関係について確信を与える証拠を提示することができた。

弁護側はクリントンの前補佐官、リチャード・ヌッシオのような政治家や同国の傑出した軍人、前南部司令部指揮官、チャールズ・ウイルヘルム将軍等を証人として喚問した。将軍は「キューバはアメリカ合衆国にとって脅威ではなく、その若者達がこの国の安全を損なったことはない」と述べた。
弁護側はホセ・バスルトを検察側証人として法廷にたたせることさえできた。彼は反革命組織「救出に向かう兄弟達」の代表であり、その本質はテロリスト・マフィアであり、キューバと合衆国間の緊張を挑発する者であることが暴露された。

検察側は衝撃のあまりの大きさに検察側証人として宣誓すべく呼ばれていたマフィアの他の人たちに攻撃の矛先を向けた。彼らは、第5修正条項に従わず、沈黙を守るなら、組織犯罪のかどで起訴されるだろうと。そのようにすべて審理過程は「清潔に」行われた。弁護側が提出した専門家のビデオによる証言、ーバ人証人の証言を含む明白な証拠と強力な論法展開により、マフィアやその代弁者であるマイアミアのラジオ、テレビ、新聞は反キューバ社会に裁判に負けるかもしれないとの警戒感を喚起し、法廷で起きていることについて様々な痛罵をあびせるに到った。それにより審理の進行にとって明らかに圧力的な雰囲気が作りあげられた。2001年5月17日口頭審理がほぼ最終段階にさしかかった時、まさに「ニューヘラルド」が、「検察は反対の陰謀を怖れている」という見出しの記事を掲載した。

多くの機会に弁護側は連邦担当判事に裁判の管轄区をマイアミ以外の他の都市に変更するよう求める議案書を提出したが、すべて却下された。その地の雰囲気は敵意と偏向に満ちており、反キューバマフィアが判事や検察官、マスコミ、警察官、政治並びにFBI当局者を買収し、ある少数派グループが、沈黙を守る大多数の人々に過激な反キューバ計画を押しつけているからである。

それ故、103回に及ぶ審理でおきたことにもかかわらず、2001年6月8日、長引いた審理の間、延々と扱われたテーマについて、また90人の証人と専門家の証言、提出された多くの証拠について、何一つ質問もせず、疑問を呈することもなく、この権某術数の審理の陪審員は、責任を転嫁された5人のすべての嫌疑について有罪としたのは驚くことではなかった。アメリカの裁判所はまたしても見ざる、聞かざる、の態度をとったのである。

しかしこの5人は不正義に怖じ気づくことはなかった。最も重い嫌疑で起訴されたヘラルド・エルナンデスが結審の2日後、妻に書いた手紙がそのことを良く物語っている。「私は安心している。無罪である故の安心感、清潔な意識を持ち、自分が不正義の犠牲者であること知っているから。いずれ真実が勝り、正義が為されるだろうと確信している。しかし、時にそれは容易ではないことを知っているので、もしそうでなかったとしても、私の姿勢はいつも同じだと言うことを、君は確信していて大丈夫だ。闘い守るべき大義がある時、守るべき人々、我々を支える家族、我々が愛し、我々を愛する人がいるとき、それらを裏切ることなどできない時、どんなに困難であっても、どんなことにでも、世界中で最も大きな安心感と尊厳を持って、立ち向かうことができるのだ」。

2001年6月20日、5人のキューバ人愛国者から合衆国国民に宛てたメッセージが公開された。彼らがアメリカに滞在していた理由を説明し、ノーブルなアメリカ国民を傷つける意図など決してなかったと述べている。彼らの手紙は次のように述べている。「我々は巨大な不正義の犠牲者です。・・・・我々の姿勢と行為がアメリカ国民の安全を侵したり、危険に陥れたことはなく、我が国の国民にたいするテロ計画や行為を発見するのに何らかの形で役に立ったことを何よりも深く確信しています。この大義のために被告人となった我々は、我が祖国を守るために、行ったことを後悔してません。我々は全く無罪であることを言明します」。

その日からキューバ国民は思想で結ばれたこれら5人の兄弟達の解放に向けて「メサ・レドンダ」と呼ばれるテレビ討論、国中の都市での公開論壇、在キューバアメリカ利益代表部前での愛国的行進を通じて、大々的な闘いを開始した。2001年7月26日、100万人以上の愛国的ハバナ市民が大群衆となって、アメリカ利益代表部の前を行進した。

そのとき以来、これら5人の政治犯の釈放を求めるいくつかの連帯グループがニューヨーク、ロサンジェルス、マイアミなどのアメリカの諸都市で、またアルゼンチン、ボリビア、ウルグアイ、ドミニカ共和国、イタリア、フランス、英国、その他の国々でも生まれた。

アメリカ国民に宛てたメッセージとキューバ人が進める確固とした闘いに対する最初の反応として、5人の拘束者は再びSHU(または穴と呼ばれる)懲罰房に移され、そこにほぼ2ヶ月間に渡り拘留された。その後、別々にマイアミ連邦拘置所に送られ、それぞれ棟も階も違う房に収監された。2001年12月11日、我らの勇敢な同胞5人に対する判決の審理が始まった。連邦判事ジョーン・レナードは、12月27日まで延長された審理で、可能な限り最高の刑を彼らに言い渡した。ヘラルド・エルナンデスには終身刑2回に加えて懲役15年、ラモン・ラバニーノには終身刑に加えて懲役18年、アントニオ・ゲレロには終身刑に加えて懲役10年、フェルナンド・ゴンサレスには懲役19年、レネ・ゴンサレスには懲役15年を。

恥ずべき有罪判決と裁判の過程でとられたすべての破廉恥な行為と卑劣さを前にして、キューバ人英雄5人は判決の審理において、説得力のある陳述を行った。それはマイアミ連邦裁判所法廷を震撼させた。力強く、冷静な声で、あらゆる種類のテロを断固として糾弾した。特に、40年にわたりマイアミからキューバに向けて行われたテロを。反キューバ・マフィアの嫌悪すべき行為や検察、陪審員、南フロリダFBI長官の腐りきった背信行為を告発した。敵の強力な励ましを受け、反革命裁判が企てられたが、かえってそれは我が国民にとっての新たな勝利となった。マフィアはまさに自分の根城で、5人が多くの真実を肉声で語るのを聞かなければならなかった。5人は裁判での発言の機会を情状酌量を求める為には用いず、不当な逮捕を告発し、祖国に捧げる命が一つしかないことの無念さを表明するのに用いた。

マフィアとその代弁者は、この4年間、これら5人を侮蔑的に「危険なスパイ」と見なし、信用を失墜させようとしてきた。しかし彼らはすべて優秀な青年で、大学を卒業し、それぞれの仕事で将来を嘱望されていたが、残酷な犯罪を起こしうるテロリスト・マフィアの犯罪的行為から国民を守るために命を捧げ、家族と離れる苦しみに耐え、職業上の夢を先に延ばしたことには全く触れなかった。合衆国での9月11日の多発テロ事件は、これら5人の行為が世界の安全と平和のために果たした重要さをあらゆる角度から示している。

これら5人の英雄の例は、我が国民にとって日ごとに大きな存在になっており、彼らは我が国と世界の青年にとって、名誉と原則の素晴らしい模範となっている。ホセ・マルテイの言葉を借りると、「怪物の臓物の中にいる」彼らにとっての真実は我が国国民並びに人類にとって自由で教養ある平和な未来を求めて巨大な思想闘争を進める我が国民が掲げるものと同じである。

自分の命を大きな危険にさらし、敵意、攻撃性、腐敗の中で大きな犠牲に耐え、模範的な誠意と尊厳を持って、確固として、祖国防衛と祖国をテロから守るという神聖な使命を遂行したことにより、国家権力人民議会は、国家評議会並びに閣僚会議議長の提案を受け、2001年12月29日、臨時国会で、ヘラルド・エルナンデス・ノルデロ、ラモン・ラバニーノ・サラサール、フェルナンデス・ゴンサレス・リョルト、レネ・ゴンサレス・シェベレルト、アントニオ・ゲレロ・ロドリゲスにキューバ共和国英雄の名誉称号を与えることを決定した。

「光を怖れぬ者達へ道を」

ハバナ市、2002年1月21日

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