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日本とキューバ

日本とキューバ:二つの島国の出会い

日本とキューバ、旅をしてみると確かに遠く離れた二つの国ですが、感じ方・考え方がどこか似ている、そんな気がします。お互いに“島国”であること、“島国”がもたらした融合と対立をくりかえしたそれぞれの歴史、“島国”により育まれ広く世界に認められたそれぞれの知恵と創造力。
日本とキューバ、カリブ海の一つの国とアジアの一つの国の温かい出会い。
お互いを隔てている大きな海とそれぞれの歴史を越えて、今、出会いのときを迎えます。

メキシコ湾の入り口にあるキューバ諸島は、大西洋とカリブ海に囲まれ、キューバ本島、イスラ・デラ・フベントゥ(旧名称ピノス島)など1600以上の大小様々な島からなり、その中には、ハルディネス・デ・レイ諸島を構成するカーヨ・ギジェルモ諸島、カーヨ・ロマーノ、カーヨ・ココ、サビナル、サンタ・マリア、エンセナーチョス、ラス・ブルハスなどがあります。

日本人観光客はキューバで、美しい砂浜、すばらしい渓谷と景観、情熱的なリズム、個性的な絵画、色鮮やかな果物、新鮮な魚介類等、さまざまな魅力と出会うでしょう。そしてなにより、素朴で情熱的なキューバの人々の温かいもてなしを受けるでしょう。
キューバの人々は、日本古来の伝統をすばらしいと思っています。たとえば女性たちが華やかな衣装に奥ゆかしい化粧をして静かに舞う時、その動きに洗練された美と生命力を感じ取ります。

働く事を尊び、困難に立ち向かう力を大切にする。マンビサと呼ばれたキューバ独立の志士とサムライが共有していたおしえ、権力や憎しみに立ち向かう強烈なエネルギーと恥の文化は、遠く離れたこの二つの国の文化を調和させ補いあわせているようです。

竹内憲治の著書、「花と革命」の序文にキューバ共和国国家評議会議長フィデル・カストロ・ルスは、「このようにして、キューバの地に美しさと喜びを与えることに四十年以上も捧げてきた人物は、その最後のエネルギーを日本とキューバの民衆の間に理解と友情という花を育てることに注いだ。」と書いています。

これからもずっと竹内憲冶が育てた最後の花を私達の花とし、キューバを訪れる日本人旅行者に接して行きたいと思っています。

日本人移民について

注:「ゲバラの国の日本人」ロランド・アルバレス/マルタ・グスマン共著
西崎素子訳 発行:VIENT発売:現代書館(2004年発行)より抜粋(ただし一部抜粋以外もあり)

キューバと日本の直接交流の歴史は、1614年7月23日に遡る。その日ハバナに「慶長遣欧使節」の途中で立ち寄ったのは、「風変わりなまばゆい衣装を身にまとった人目を引く一行で、彼らを率いていたのは、支倉常長(はせくらつねなが)という仙台藩主伊達政宗に仕える藩士であった。支倉常長は伊達政宗の命を受けてスペイン王への親書とローマ法王への親書をセビージャ市に運んでいた」。日本と「新大陸」との間の通商関係を樹立すること、カトリックの宣教師が日本にやってくるように促すこと、メキシコの銀と仙台の金とを交換取引すること、といった指令であった。

支倉は、キューバを訪問した最初の日本人であると見なされる。彼はそのとき大きな責任を負っていたこともあり、約百五十人の「武士、船員、使用人」を同行していた。しかし、日本からの移民がキューバにおいて始まるには十九世紀が終わる直前まで待たなければならなかった。日本人移民は、中国移民のように多数ではなかったものの、キューバに定住を果たすことになった。彼らの子孫は、質朴さ、不屈の精神、繊細な心、勤勉さ、という故国日本の民衆の美徳を最高度に有していた。そして、第二の祖国での仕事に、その美徳すべてをもって尽くした。

1914年には約60人の日本人がいたが新たに67人が加わり、キューバの中央部、サンタ・クララとトリニダーの周辺に定住して行った。その翌年、シエンフエゴス近郊のカンポカルメリーナという町に初めて日本生産者協会を設立した。

1920年代はアジアからの移民が次々と入植して来た。27年には、ヒデジ・カトウ氏によりキューバ日本人会がハバナで創立された。また当時日本人移民が一番多く定住していたイスラ・デ・ピノスには、マサシ・ヨシザワ氏を中心に1933年から1941年にかけての期間「イスラ・デ・ピノス日本人農業組合」が運営され、日本人の生産者がまとまって、収穫物をより好条件でアメリカに輸出していた。組織に加わっていないトメハチ・コバヤシ氏、オーヒラ氏のような日本人もいた。

日本人たちは、決められた地域に留まることなく、イスラ・デ・ピノスの他に、キューバの旧行政6州、46町村にまたがり島全土に住んでいた。農業、鉱業、砂糖産業、漁業、園芸、機械、電気、サービス業といった様々な仕事に従事していた。

日本人移民の中で、その働きぶりが特に際立っていたのは、モサク・ハラダ氏、ケンジ・タケウチ氏、サブロー・オオエ氏、ヒデジ・カトウ氏、そして、ゴロー・ナイトウ氏などである。彼らと同郷の移民の人々や子供たち孫たちは、昔も今もキューバの国民性やアイデンテイティをより豊かなものにしている。

 

文化的な交流

おそらくキューバに足を踏み入れた最初の日本人は、サーカスの芸人コウキチ・シミズであろう。シミズは1887年に大阪で生まれ、1909年にキューバに入植した。キューバ人女性と結婚し、現在のシエンフエゴス州であるクルセスに住まいを構えた。現在のビジャクララであるレメディオスで1925年に亡くなっている。「リトル・コウキチ」として名を知られていた彼は、キューバ国内のサーカス会場を回り、有名な奇術師サルタンの招きで1911年、12年にアメリカでも興行した。

1920年代後半、キューバの知識人の雄であるアレホ・カルペンティエルとコンラッド・W・マッサゲールは、高名な日本人画家の藤田嗣治と親交を結んだ。これはパリでのことであり、この交友により藤田は妻とともに1931年、ハバナを訪れることになった。藤田はハバナ滞在中、キューバの画家や作家と親密な交流を持った。アルアンブラ劇場に出かけ、ハバナのリセウムで開かれた彼の絵の展覧会の開幕式を行なった。この展覧会は1932年に行われたもので、ひとつの文化的事件とみなされた。

意義深い出来事としては、ハバナの国立植物園内に日本庭園が造園されたことが挙げられる。これは1970年の大阪万博の記念協会より寄贈されたもので、1989年10月26日に落成した。プロジェクトを担当したのは日本人の造園家ヨシクニ・アキラであった。日本庭園は全体で五ヘクタールの面積があり、装飾的性格を持ち、日本の園芸花の一部や同国から運ばれた魚などがみられる。この美しい庭園は池を取り巻いており、「遊歩道の庭園」を意味する「回遊式庭園」という様式になっている。

レオ・ブローウェルやホアキン・クレルチのようなキューバクラッシクギター界の大物奏者が日本でコンサートやリサイタルを開き成功を収め、レイ・ゲーラやヘスス・オルテガといった奏者も日本で知られている。

1950年代、レクオーナ・キューバン・ボーイズに影響を受けた東京キューバン・ボーイズがブームとなり、キューバのダンス音楽が日本でも大人気となった。オルケスタ・アラゴンは、チャチャチャのリズムで大成功を収めた。最近ではNGラバンダのバンドマスター“エル・トスコ”という愛称で呼ばれるホセ・ルイス・コルテスがそのグループとともに人気を博した。オルケスタ・デ・ラ・ルスとサルサをより多くの人に広めたそのボーカル、ノラと、キューバ人歌手イサック・デルガードのコラボレーションも銘記しなければならない。

日本とキューバの文化関係者のたゆまぬ努力、日本のマスメディアの大きな後押しなどを受けて両国の文化交流はますます活発になっている。ルンバ、マンボ、チャチャチャ、グアグアンコ、ボレロそしてサルサのリズム、キューバ音楽ファンは、確実に増加している。

最近10年間の例でも、NGラバンダ、チャランガ・アバネーラ、ソン・ダマス、マノリート・シモネー&その仲間たち、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、オマーラ・ポルトゥオンド、イブライム・フェレール、コンパイ・セグンド、セサール・ロペスとハバナ・アンサンブル、パンチョ・アマート&ソン、ロス・バンバンなど多彩な分野のキューバンミュージシャンがコンサート・リサイタルを日本各地で行っている。

文化交流は音楽のみにとどまらず、芸術の分野でもキューバ芸術のよき理解者である日本の芸術家や親キューバ的な人々の協力を得て各地で展覧会を開催している。ネルソン・ドミンゲス、エドワルド・ロカ、フローラ・フォン、アレクシス・レイバなど高い評価を得ている。

また、近年キューバを訪れる著名な日本人も増え、アントニオ・古賀、村上龍、加藤登紀子、大萩康司、コシノ・ジュンコ、中山美穂、小林聡美、坂口憲二、三枝成彰、宮沢和史、忌野清志郎(敬称略、順不同)など顔ぶれも多彩でキューバへの関心の高さを物語っている。キューバで開催された音楽の祭典クバディスコ2005にも、中島啓江や神崎愛を含め多くの日本人ミュージシャンが参加した。

日本映画も、50年代の初めにキューバに照会された。名高い映画監督、黒澤明の手による作品「羅生門」と「七人の侍」である。1970年代以降には、多くの日本映画が知られるようになり、前記の作品と同様、キューバの大衆に受け入れられた。

キューバでは、日本をテーマにした二つのドキュメンタリー映画が作られており、その編集は、ゴロウ・エノモトが担当した。日本人を両親に持つキューバ生まれの氏は、ドキュメンタリーの巨匠サンティアゴ・アルバレスのそばで働くスタッフであった。

 

スポーツの交流

キューバに初めて柔道を紹介したのは、ベルギー黒帯会のメンバーで(1950年から51年)、キューバ柔道連盟技術本部長でありヨーロッパでの柔道の紹介者であるミコノスケ・カワイシの弟子であったフィンランド人といわれている。キューバの柔道の歴史を刻んだ主要な出来事の中で、マサユキ・タカハマの来訪は特に大きな意味を持っている。1955年から57年の間にキューバで柔道の指導にあたり、何十人もの有段者を育てた。1960年以降柔道の日本人顧問は不在となったが、キューバ人の関心は高く練習はますます熱心となり、パンアメリカ大会、オリンピック、世界選手権等の国際大会において好成績を収めた。1979年には日本選手団がキューバ大会に参加し、遠藤純男が優勝した。一方、日本におけるキューバ人柔道選手は国際Aマッチなどで優れた成績を残している。この大会には世界大会の勝者やオリンピック優勝者が招待された。

1965年キューバに空手を紹介したのは小波蔵政昭氏だった。彼は沖縄の少林流の流れを汲んでいた。その後多くのキューバ人が稽古に励み、空手は大きく発展した。キューバと日本の空手の連合や協会は空手の発展に大いに貢献した。

日本野球のレベルは高い。10年以上にわたりキューバの優秀な選手たちが両国の合意の下で日本の野球チームに加わりすばらしい活躍をしている。世界選手権大会やオリンピックでキューバ、日本のナショナルチームが何度も優勝を競いあっている。ここ数回のオリンピックにおいてキューバ野球チームが常に金メダルを獲得していること、キューバの男女バレーボールチームが常に入賞していることは、日本でも良く知られている。

日本の新聞・雑誌・テレビ等マスメディアを通して自然、有機農業その他様々なテーマでキューバの紹介が行われている。また最近、キューバでは、日本古来の相撲や碁が広く紹介され話題となった。

 

日本人移民のゆかりの場所

  • 支倉六右衛門常長への記念碑
    1614年、キューバに初めて足を踏み入れた日本人支倉常長の像。着物姿のその像はハバナから遠く離れた仙台に思いを馳せているかのようだ。ハバナ、旧市街プエルト通り。

  • ハバナとサンテイアゴ・デ・クーバの港
    19世紀に日本人移民の乗った船が入港した主要港。

  • ハバナ国立植物園
    園内には、1970年に日本から寄贈された日本庭園がある。1989年に開園式が行われた。同園内で異国情緒のある場所として注目される。

  • カマグエイ、サンタ・クララ、シエンフエゴス、トリニダーの街
    1914年、67人の日本人移民が定住していた。カマグエイの中心ビオレタには、日本式のお風呂が保存されている。シエンフエゴスのカンポカルメリーナでは、初めて日本生産者協会が作られた。
  • イスラ・デラ・フベントゥ(旧名称:イスラ・デ・ピノス)
    日本人移民の多くが定住し農業に従事した。サンタバルバラには、「お盆」や「天皇誕生日」を祝うという伝統が今も残る。

  • イスラ・デラ・フベントゥの旧刑務所跡
    第二次世界大戦中、何十人もの日本人が収容された。

  • シエゴ・デ・アビラのイスラ・デ・トゥリグァノ
    日本人、サブロー・オオエがその乾燥した土地で野菜作りに取り組んだ場所のひとつである。

  • カーヨ・ラルゴ・デル・スール
    モサク・ハラダが漁業に従事した海。

  • マンシオン・シャナドゥ クラブハウス バラデロ
  • ピナール・デル・リオ州の蘭庭園
  • サンティアゴ・デ・クーバのグランピエドラ国立公園
  • ハバナ州ワハイの花弁栽培実験センター
    これらの4ケ所は、園芸家竹内憲治ゆかりの場所である。竹内は1901年広島に生まれ、大阪園芸高等学校卒。今日、バラデロインターナショナルゴルフクラブのクラブハウスとなっているデュポンの別荘の広大な庭園の設計・造園を任され1943年まで従事。第二次世界大戦後、トマス・フェリペ・カマチョ博士の「生後間もなく亡くなった娘のために常に花の咲き乱れる庭を作って欲しい」という要請に応え造園したのが、現在のピナール・デル・リオの蘭庭園である。竹内の植物学に精通した仕事ぶりは卓越していた。セリア・サンチェス女史は蘭庭園の見事な仕事を認め、サンティアゴ・デ・クーバ州グランピエドラのアジサイ庭園造園のプロジェクトを氏に委ねた。
    竹内は、ハバナ州のワハイの花弁栽培実験センターを創設後、フィデル・カストロにより序文が書かれた「花と革命」(学苑社 1977年発行)と題した著書を残し、1977年に亡くなった。75才、キューバ在住46年。
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